5、報国号命名式



 満州事変、上海事変以来、戦火の拡大とともに民間各層から兵器献納の拠金が盛んとなっていった。
 海軍では献納兵器を報国号と名づけ(陸軍では愛国号)、その中で献納された飛行機は、昭和7年から20年まで、海軍機だけで1700〜1800機にのぼったという。
 機種別にわけると、小型機で献納しやすく、華やかな機種ということで戦闘機が圧倒的多数を占めている。九〇戦に始まり、九五戦、九六戦、零戦と続くが、中でも九六戦と零戦が多かった。
 報国号の献納者は企業から一個人まであらゆる階層に及んでいて、老い先短い匿名の高齢者やおこづかいを出し合った小学生や女学生、さらに海軍内部でも、戦闘機パイロットであった藤田怡与蔵大尉が亡父の遺産をそっくりそのまま拠金して報国号を献納するなど、今の常識では想像もつかないほど官民あげて、特に一般市民の戦意は高かったのである。

 報国号の献納にあたっては、必ず命名式がおこなわれ、昭和7年の源田サーカス以来、献納機によるページェント飛行が披露されることが恒例となっていた。
 パイロットにとっても、命名式は日ごろ鍛えた技倆のありったけを披露する絶好のチャンスであり、晴れの舞台でもあった。

 だいたいの式次第としては、まず早朝に空輸された報告号が飛行場のまんなかに並べられ、紅白の幕が張巡らされる。
 飛行場は東京では羽田であったが、地方でおこなわれることも多かった。
 式への参列者は、献納者側から10数名、海軍側の関係者を合わせて20〜30名で、周囲を多勢の観衆がとりまいていた。
 神式による儀式のあと関係者双方のあいさつ、続いてパイロットに対して花束贈呈、軍楽隊の演奏が終わると、いよいよページェント飛行である。
 3機が式場めがけて急降下、地面すれすれから急上昇横転など、編隊アクロバット飛行を披露する。パイロットには緊張の連続でもあったが、特に地方の飛行場で燃料補給のためもう一度着陸するときなど、数百数千の観衆が飛行機めがけて駆け寄ってきての大声援、大歓迎に感激もひとしおであったという。

「零戦の20世紀」神立尚紀著(スコラ)より転載



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